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title: "On Blahfe"
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![image](media://d44269e4-66b2-4802-9c64-e262df60f231)

> （小学校の作文より）
> 
> ぼくは、二年の時、友達と自転車で、じゅくから帰ってくるとちゅう、トラックに足をふまれてしまいました。おほりの近くの道路でトラックが来たから、よけようとした時、ころんで足を道路にだしてしまったのです。
> 
> いたみは感じなかったのに、なぜか泣いてしまい、トラックのおじさんたちが「けがはなかったかい」と心配してくれました。それでも、ぼくが泣いてるもんだから、病院に行って、レントゲンで見てもらいました。全然いじょうはなかったそうです。
> 
> その時、ぼくはほっとして、これからは自分で安全を守ろうと、決心しました。ただ、三年になってしまうと、安全を守ろうなんていう決心は、とっくに忘れてしまいました。
> 
> 三年の五月になって、お父さんと兄弟と友達で郡山ダムまでサイクリングに行きました。行くときは、よかったんだけど、帰りの時、坂で足をすべらして、自転車のスポークの中につま先をはめてしまいました。その勢いで、自転車が、一回転してしまいました。
> 
> たまたま車が通って、中の農家の人が「どうしたんだい」と、話しかけてくれました。ぼくは、足の方のいたさで、話すこともできませんでした。それから、農家の人が、心配して、家までつれていってくれました。
> 
> 家に帰ると、安心して、泣いてしまいました。それから、病院に行ってレントゲンをとって見ると、お医者さんがだいじょうぶといっていました。とってもよかったです。
> 
> また、ぼくは、自分で安全を守ろうと、心に決めました。


自分は最近、人間が持つ根源的な「痛み」について深く考えていた。誰もが経験する感覚だ。退屈や寂しさ、身体的な痛み、将来の健康不安。金銭的なストレスも虚しさも同じだ。この痛みの本質を理解するために、自分の原体験を掘り下げてみた。

小学生の頃の作文を読み返していて、そこに書かれていた自転車事故の話が妙に心に残った。トラックに足を踏まれた時の恐怖と痛み。実際には痛みはなかったはずなのに泣いていた。不思議なことに、この体験が安全意識を芽生えさせた。

だが人間は面白い生き物で、その教訓もすぐに忘れてしまう。三年生になった時にまた事故に遭った。今度は自転車のスポークに足を挟んで。その時は本当に痛くて、話すこともできなかった。しかしここでも学びがあった。

この繰り返しの中で気づいたのは、痛みは単なる「避けるべきもの」ではないということ。むしろ成長のための不可欠なトリガーになっている。だから屋号を「Blahfe & Grpr」にした。これは人間が抱える根源的な痛みの頭文字だ。boredom（退屈）、loneliness（寂しさ）、ache（痛み）、health damage（健康不安）、financial stress（金銭的な苦しみ）、emptiness（虚しさ）。

そしてこれらの痛みには必ず出口がある。それを探るための枠組みとして、goal（目標）、resource（資源）、process（過程）、rule（規則）という視点を設定した。だから「& Grpr」。痛みがあるからこそ、その先の解決を目指せる。それが人間の持つ不思議な力だと思う。

小学生の頃の自分は事故の後に「自分で安全を守ろう」と決心した。しかしすぐに忘れて、また同じような事故に遭った。この一見無意味に見える繰り返しの中にこそ、実は大切な成長のプロセスが隠れている。痛みを感じ、それを忘れ、また痛みを感じる。でもその度に少しずつ強くなっている。

ここでは人間の根源的な痛みと向き合っていく。PROBLEMセクションでは六つの痛みのどれかを深掘りする。SOLUTIONセクションではその痛みに対する自分なりの解決策を提示する。職業人としての経験も一人の人間としての気づきも全部さらけ出していく。

痛みは逃げるべきものではない。それは成長のための、人生からの大切なメッセージなのだ。この場を通じて、みんなが抱える痛みの意味を一緒に探っていければと思う。痛みを感じるということは、まだ成長できるということだから。

みんなそれぞれの形で痛みを抱えている。その痛みと向き合い乗り越えていく過程で、きっと新しい発見があるはず。この場がそんな旅路の道しるべになれたらいい。人は痛みを通じて成長する。その真理を、これからも探求していきたい。